『人間椅子』は、1925(大正14)年に発表された短編小説。椅子を作る職人「私」が、人がひとり中に入れる空洞を施した椅子を作成して自分がその中に入り、なめし革一枚を隔てて自分の上に座る人間の感触を楽しむ、という倒錯した嗜好を告白するお話です。
人間椅子って、なんかちょっと怖いね
うん。少しぞわぞわするお話だよ
目次
主な登場人物
佳子(よしこ)
外務省書記官の夫をもつ、美しい有名女性作家。
私(わたし)
醜い容姿をしている男性。椅子職人。原稿を佳子に送った人物。
あらすじ:ネタバレあり
女性作家の佳子は、自分宛に送られてきた手紙の中に、原稿を見つけ読んでみた。それは、椅子職人である男の体験と懺悔が書かれていた。
ー以下、男の告白ー
男性は豪華な椅子を作る職人。ある時思いつき、ホテルに納める大きな皮張りの椅子の中に、自分一人が中に入れる空間を作り、その中に潜り込んだ。
最初の目的は、椅子の中に潜み、人のいなくなったホテルで盗みを働くことだった。しかし、自分が中に入った椅子に人が座り、その感触を感じたことで、その不思議な感触の世界に溺れていった。
数ヶ月後、ホテルの経営者が交代し男の入った椅子は売られることになった。次の買い手は、立派な屋敷に住む官吏で、椅子は書斎に置かれた。
書斎では、若く美しい夫人がもっぱら椅子を使用していた。男は夫人を愛した。言葉を交わすことができたら、死んでもいいと思った。
あなたは、もうお分かりでしょう。私の恋人は、あなたです。
ー以上、男の告白おわりー
佳子は、気味悪い肘掛け椅子から立ち上がり、書斎から逃げ出した。そこへ、もう一通の手紙が届いた。先程の不気味な原稿と同じ筆跡であった。手紙には、ごく短い奇妙な文言が記されていた。
別便でお送った拙い創作に、批評を頂けると幸いだ。表題は「人間椅子」とつけたい考えだ。
解説
文字数は16,023文字。1分間に読む文字数を500文字と考えると、だいたい30分程度で読める分量です。
江戸川乱歩は、大正〜昭和初期に活躍した小説家。推理小説を得意とし『怪人二十面相』『黒蜥蜴』などの有名な作品を多く残しています。
ペンネームは、エドガー・アラン・ポー(1809〜1849)をもじって、つけられたものです。
『名探偵コナン』の江戸川コナンは”江戸川”乱歩に、毛利小五郎は『怪人二十面相』『黒蜥蜴』に登場する探偵、明智”小五郎”に由来すると思われ、後世の作品にも大きな影響を与えています。
椅子の中に人が隠れる「人間椅子」のアイデアは、『黒蜥蜴』の中でも使われています。乱歩は、この発想をとても気に入っていたのかもしれません。
『人間椅子』は1925(大正14)年に発表されました。江戸川乱歩は、この年『D坂の殺人事件』『心理試験』など、複数の作品を意欲的に発表しています。
1917(大正6)年 | ロシア革命 |
1922(大正11)年 | ソビエト連邦成立 |
1923(大正12)年 | 関東大震災 |
1925(大正14)年 | 江戸川乱歩『人間椅子』ほか『D坂の殺人事件』『心理試験』を発表 普通選挙法成立 治安維持法成立 |
1925(大正14)年は、普通選挙法が成立しました。この時は25歳以上の男子に衆議院議員選挙権が与えられたもので、まだ女性には選挙権はありませんでした。
同年、普通選挙法の抱き合わせのような形で、治安維持法も成立しています。治安維持法は、ロシア革命、ソビエト連邦成立といった共産主義・社会主義運動を恐れて制定されたと考えられます。
1925(大正14)年は、いわゆる大正デモクラシーの頃になりますが、政治的には心穏やかではいられない空気が漂い始めている頃です。
感想
『人間椅子』は、本当に「佳子」に批評してもらいたくて「私」が創作したお話なのか、それとも、創作だということにするために「私」が2通目の手紙を送ったのか、はたまた「佳子」の夫が妻に仕掛けた壮大な嘘なのか、などなど、さまざまな推測や考察がされています。
真相は藪の中ですが、何とも言えない、ぞわぞわとした読後感と、読者が様々に解釈をする余地とを与える、さすが江戸川乱歩といった作品です。
「大きな皮張りの椅子」というところがポイントだと思いますが、自分が座っている椅子の下に人がいるかも?と想像すると、なんとも言えない気持ちの悪さを感じます。「自分が知らないところで、相手はその感触を楽しんでいた」と後で知るのは、何と気味の悪いことでしょう。
「椅子の中に入る」「椅子の革越しに他人の感触を楽しむ」という点にフォーカスすると、奇妙な癖として捉えられがちですが、私にはこれが「ペルソナ」や「匿名性」のメタファーのように感じられます。
醜い容姿の家具職人という素性とコンプレックスを隠し、「誰か」を特定できない状態で、ぬくもりや恋愛を擬似体験して欲求を満たす。1920年の「椅子」を、2020年の「SNS」におき換えたら、両者の欲求には通じるものを感じます。
『人間椅子』は、Audibleの石田彰氏のナレーションによる「人間椅子」を購入して聴いてみたのですが、これが本当によかったです。
もともと、石田彰さんの声が好きだからというのが大きいのですが、それに加えて、抑揚や緩急、息継ぎ、感情の込め具合など、とにかく全てが私にはパーフェクトなのです。こういう体験ができるのなら、月額1500円を払ってもよいと思えます。
ただ、残念ながら、Audibleで聴ける本の中に、石田彰氏のナレーションの本はまださほど多くはありません(2021年5月現在)。Audible作品に、石田彰さんのナレーションが増えてくれることを熱望しています。
石田彰さんのナレーション、本当にいいよ。乱歩の世界を堪能できるよ。
江戸川乱歩(1894~1965)『人間椅子』は、著作権保護期間が満了した日本国内ではパブリックドメインの作品です。青空文庫、アマゾンKindleから無料で読むことができます。楽点ブックスでもパブリックドメインの作品を読むことができますが、2021年4月現在『人間椅子』は未対応のようです。
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