夢野久作といえば『ドグラ・マグラ』だよね。読んでないけど
『ドグラ・マグラ』は有名だけど、難解だよね。『きのこ会議』は短くて読みやすいよ
目次
主な登場人物
きのこ達
初茸、松茸、椎茸、木くらげ、などなどの「きのこ連中」
毒きのこ達
蠅取り茸、紅茸、などなどの「毒きのこ連中」
茸取りに来た家族
お父さん、お母さん、お姉さん、坊ちゃん
あらすじ
きのこ達が「人の役に立つこと」や「子孫を残すこと」について話をしていました。それを聞いた毒きのこ達は、「人の役に立つから人に取られるのだ、毒を持ち、人の役に立たないことで、自分たちが繁栄ができるのだ」と言いました。
次の日、茸取りの家族が来ました。家族はあらかたの茸をとってしまいました。帰り際に、男の子が「毒茸は憎らしい格好をしている。僕が征伐してやる」と言って、毒茸をみな踏み潰してしまいました。おしまい。
これだけ?
そう。これだけ。シュールっていうか、何て言うか。これだけ。
解説
文字数は1,666文字、短編小説の中でも特に短い、ショートショートといった感じです。3〜5分くらいで、さらっと読めてしまいます。
夢野久作は、福岡県生まれの小説家です。怪奇幻想小説の奇才と呼ばれ、多数の作品を残しています。摩訶不思議な作風から、好みが別れるところだとは思いますが、独自の世界観を描く稀有な作家といえます。
夢野久作の代表作と言われている『ドグラ・マグラ』は、日本探偵小説三大奇書の一つとされています。ちなみに、三大奇書の他の二つは小栗虫太郎『黒死館殺人事件』と、中井英夫『虚無への供物』です。
久作は、1919(大正8)年に、九州日報(『きのこ会議』を発表)の新聞記者になっています。「夢野久作」名義で作品を発表しはじめたのは、1926(大正15)年の『あやかしの鼓』からなので、『きのこ会議』発表時の名義は、夢野久作ではありません。調べてみたところ「無署名で発表されたようだ」という記載を見つけましたが、確認はできませんでした。
『きのこ会議』は1922(大正11)年に九州日報で発表されました。九州日報は、のちに福岡日日新聞と合併して、現在の西日本新聞となっています。1922(大正11)年は、いわゆる大正デモクラシーの頃になります。
1919(大正 8)年 ヴェルサイユ条約(第一次世界大戦の講話条約)調印
1920(大正. 9)年 国際連盟が発足 日本は常任理事国として加盟
1922(大正11)年 夢野久作『きのこ会議』発表
1923(大正12)年 関東大震災
大正11年は、関東大震災の前年です。大きな災害が起こる前、民主主義的・自由主義的な空気のある、比較的穏やかな頃だったのかもしれません。
脱線しますが、漫画「サザエさん」の主人公、サザエさんは大正11年生まれだそうです。
感想
短いお話しということもあり、特別な感想というものを抱きにくい作品です。というか、何かを感じたり掴んだりする前に、お話自体があっけなく終わってしまいます。お話の盛り上がりとか、どんでん返しとか、期待しながら読み始めるのですが、そういったことも特に起こりません。
このお話しを「世の中そんなに甘くない」「何を選択しても不正解」といった、世間や人生に対する「皮肉」とか「寓話」として捉えることもできるし、ただの軽い読み物と捉えることもできます。
『きのこ会議』は、なぜか忘れられない、妙に強烈な読後感をもたらします。ただの「皮肉」や「寓話」なら、さらっと忘れてしまいそうなのに、です。本当に不思議な、お話です。
著名な小説家の作品も、難しいものばかりじゃないんだね
夢野久作(1889〜1936)『きのこ会議』は、著作権保護期間が満了した日本国内ではパブリックドメインの作品です。青空文庫、アマゾンkindle、楽天ブックスから無料で読むことができます。
アイキャッチ画像 Meik SchmidtによるPixabayからの画像