直木さんって「直木賞」の人?
そうだよ。「直木賞」は有名なのに、直木三十五の作品はあまり知られていないんだよ
目次
主な登場人物
夏目俊太郎
ロボット技師。重い病で、余命わずか。
夫人
若く美しい俊太郎の妻。病床の俊太郎を疎ましく思っている。愛人がいる。
ロボット
1936年型の精巧なロボット。俊太郎が特殊装置を施した。
あらすじ:ネタバレあり
ロボット技師の俊太郎は病床にある。妻は病床にある夫を疎ましく感じ、愛人との逢瀬を重ねている。俊太郎は、自分の死後、妻を侵入者から守るための特殊装置を施したロボットを作成する。
病床の俊太郎は、妻に「私たちのベッドは二人のものにしておきたい」「ここだけは汚してはいけない」と言い含める。妻にロボットを贈り「このロボットを俺だと思って大事にしてくれ」「ロボットを愛さなくなれば、こいつはお前を殺す」と言い遺して亡くなる。
俊太郎の死後、夫人のもとを愛人が訪れる。夫人のいるベッドに愛人が腰掛けると、ロボットが近づいてきて、大きな手で二人を抱きしめてしまう。ロボットは2人を締め上げ続け、2人は絶命した。
え?みんな死んじゃうの?
うん。まあ、そんな感じ
解説
文字数は、10,382文字。1分間に読む文字数を500文字と考えると、だいたい20分程度で読める分量です。
直木三十五は、昭和初期に活躍した小説家。読み方は「なおき さんじゅうご」です。ペンネームの三十五は年齢をもとにしたもので、31歳の時は「三十一」、32歳になると「三十二」とペンネームを変えていたそうですが、「三十五」を最後に、変えるのはやめたようです。
直木三十五は、「直木賞」にその名を残す小説家であり、脚本家、映画監督としても活躍しました。彼のゆかりの地には直木三十五記念館があります。一度、行ってみたいですね。
『ロボットとベッドの重量』は、1931(昭和6)年に雑誌「新青年」で発表されました。「新青年」は1920年に創刊され、江戸川乱歩や横溝正史らを輩出した雑誌で、都市部の青年に人気があったようです。
1929(昭和4)年 | 世界恐慌 |
1930(昭和5)年 | 昭和恐慌 |
1931(昭和6)年 | 満州事変勃発、直木三十五『ロボットとベッドの重量』発表 |
1932(昭和7)年 | 青年将校らが総理大臣官邸で犬飼毅首相を射殺(5.15事件) |
『ロボットとベッドの重量』が発表された昭和6年には満州事変が、翌年には5.15事件が起きています。軍部の力が強まり、戦争に向かっている時代です。
また、1930〜1931(昭和5〜6)年は、エロ・グロ・ナンセンスと言われる、退廃的な風俗や文化風潮がブームとなった時期でもあります。
エロティック(扇情的)、グロテスク(怪奇的)、ナンセンス(ばかばかしい)の組み合わせである、エロ・グロ・ナンセンスは社会不安が深刻化したために、人々が刹那的な快楽や享楽を求めたことで起きた流行だと言われています。しかし1936(昭和11)年頃から検閲が厳しくなり、この流行も次第に廃れていったようです。
直木三十五(1981〜1934)の友人であった菊池寛(1888〜1948)が、直木を記念して1935年に創設しました。大衆小説に与えられる賞で、年に2回発表されています。創設者が友人とはいえ、没後の翌年に自分の名前を冠した賞が創設されるのは、すごいですね。
感想
20分程度で読めてしまう、短いお話しなのですが、夫婦って何だろうと考えさせられます。
俊太郎は、自分が亡くなった後も、妻を他の男には渡したくなかったのだろうな、とは思います。でも私には「私が死んだ後も、未来永劫、私のことだけを愛し、想い続けて欲しい」という感覚が、正直、理解できません。
自分が死んだら、後のことは、もうよくないですか?生きている間、一緒に過ごす時間を大切にしてくれたのならば、十分では?正解も不正解もない問いなのでしょうが「死んでも愛し続ける」って何なのでしょう。
100歩譲って、「自分が死んだ後に、妻が他の男と一緒になるのは許せない」という感情までは理解でしたとして、次に浮かんでくるのは「存命中は、妻が他の男と一緒にいるのはOKなのか?」という疑問です。
俊太郎が病床にいる間、妻は他の男と時間を過ごし、俊太郎は自分の死後に妻を束縛するためのロボット作成に励みます。俊太郎は、妻の浮気な性分に気づいていたからこそロボットを作成したのでしょう。そんな俊太郎が、妻の現在の浮気に気づいていない、なんてあるでしょうか?
自分が死んだ後の妻の浮気は罰するが、現在の浮気は見逃す。何とも奇妙な行為に感じますが、もしかしたら「現在の浮気はなかったことにしたい。気づいていないことにしたい」という気持ちの反映でしょうか。
俊太郎は“貞淑な妻をもつ、妻に愛された夫”として人生の幕を閉じ、自分の死後、貞淑な女性ではなくなった妻を罰する。これなら、俊太郎の自尊心が傷つくことはなく、心おきなく妻を断罪することができます。そのために必要だった仕掛けが、自分の死後に発動する『ロボット』だったのかも?そんな気がしてなりません。
俊太郎の行為が理解できず、愛について色々と考えましたが、もっと単純に軽い読み物として楽しむ作品なのかもしれません。『ロボットとベッドの重量』は、現在の感覚で読むと、エロティックとグロテスクの要素は僅かですが、確かにナンセンスではあります。
そう考えると、エロやグロが昭和初期と令和では随分と捉え方が変化したのに対して、ナンセンスの捉え方にはあまり変化がないように感じます。じゃあ、現代の「ナンセンス」に通じる「ばかばかしい」の感覚って、いつ頃からのものなんだろう? などと、なんだか、とりとめもない興味も広がっていく作品です。
ところで。直木賞作品の中では、何が好きなの?
浅田次郎さんの『鉄道員』とか、三浦しをんさんの『まほろ駅前多田便利軒』とか。少し前の受賞作の方が好きな作品が多いかな
直木三十五(1981〜1934)『ロボットとベッドの重量』は、著作権保護期間が満了した日本国内ではパブリックドメインの作品です。青空文庫、アマゾンKindle、楽天ブックスから無料で読むことができます。
アイキャッチ画像 Photo by Aideal Hwa on Unsplash