『白痴』っていうタイトルがすごいね
うん。今だと色々と言われそうだよね。でも作中で描かれているのは “純愛” だと思うんだ
目次
主な登場人物と背景
伊沢
27歳の独身男性。大学卒業後に新聞記者になり、現在は文化映画の演出見習いをしている。
気違い
伊沢の隣人。30歳前後の、風采堂々とした好男子。相当の資産をもっている。
白痴の女(サヨ)
気違いの妻。25〜26歳、古風な美しい顔立ちの女性。オサヨさんと呼ばれている。
『白痴』のラストは、昭和20年4月15日の東京での大空襲。作品中では、敗戦の色濃くなった東京の下町に住む住民の様子が描かれている。
あらすじ:ネタバレあり
伊沢は、かつての新聞記者、そして現在の文化映画の演出という仕事を”賤業”だと感じている。芸術を夢見ながら、会社では「飛行機をラバウルへ!」「サイパン決戦!」といった企画をたてる伊沢の情熱は死んでいた。
会社からもらう200円ほどの給料は”200円の悪霊”で、”精神も魂も200円に限定され”ていると感じている。
日本は負けると感じながら、200円の給料を失い路頭に迷う不安を卑小に思い、その卑小さを顧みて泣きたくなり、“生命の不安と遊ぶことだけが毎日の生きがい”だった。
ある晩、家に帰ると、白痴の女(サヨ)が押入れに隠れていた。伊沢はサヨを匿ってやり、それからサヨとの奇妙な同居生活が始まる。伊沢は彼女を”200円の悪霊すら宿ることができない”と表現し、”この女はまるで俺のために作られた悲しい人形のよう”だとも感じる。
4月15日、大きな空襲が東京を襲った。人々が逃げるなか、サヨといるところを見られたくない伊沢は、一瞬でも早く逃げたいと思いながら、近所の人達が逃げて立ち去るのを待つ。左右の家が燃え出してようやく、サヨを抱くようにして逃げた。
逃げる途中、伊沢はサヨに「俺から離れるな」と言い聞かせる。サヨの稚拙な頷きに、伊沢は”感動のために気が狂いそうになる”。
しばらくすると、サヨは疲れて眠ってしまう。伊沢は、眠っているサヨを置いて立ち去りたいとも思うが、それすらも面倒くさいと感じる。朝になったら、サヨを起こして、ねぐらを探して歩き出そうと伊沢は考える。空は晴れて、太陽の光がふりそそぐだろうかと考えながら。
解説
『白痴』の文字数は、24,382文字。1分間に読む文字数を500文字と考えると、だいたい1時間程度で読める分量です。
坂口安吾は新潟県出身の小説家。昭和初期に活躍し、純文学のほか、歴史小説、推理小説、評論など多くの作品を残しています。
『白痴』は1946年、雑誌「新潮」に発表されました。新潮社が発行している「新潮」は、1904年に創刊され、現在まで続いている文芸誌です。
1945(昭和20)年 | 第2次世界大戦終戦、日本の無条件降伏 |
1946(昭和21)年 | 日本国憲法 公布(11/3)坂口安吾『白痴』発表 |
1947(昭和22)年 | 日本国憲法 施行(5/3) |
『白痴』が発表されたのは、第2次世界大戦終戦の翌年です。坂口安吾は、終戦の翌年に、前年に起こった東京での大空襲を舞台にした作品を発表していることになります。
1946年は、日本国憲法が公布された年です。ちなみに、明治天皇の誕生日でもあり日本国憲法の公布日を記念して定められた祝日が、11月3日の「文化の日」、日本国憲法の施行日を記念して定められた祝日が、5月3日の「憲法記念日」です。
感想
伊沢の暮らす、終戦間近の昭和20年の東京は、今とは時代の背景が異なりますが、それでも日々の生活に対して感じる閉塞感や希望の持てなさは、現代のそれと驚くほど似ているように感じます。月々の給料の額に、生活だけでなく精神や魂までも拘束され、その縛りの中でしか、生きることも考えることも感じることもできない。
伊沢がどう足掻いても逃れることのできない呪縛の中で生きているのに対し、その呪縛や不安を理解しないがために、呪縛にも悪霊にも囚われることのないサヨの存在は、伊沢にとっての救いであったのかもしれないと感じます。
この作品、初めは特に違和感もなく読み進めるのですが、途中でふと「なぜ、伊沢は東京にいるのか?」と疑問に感じます。終戦直前です。健康な若年男性の多くは、招集されて戦地にいるのではないでしょうか。
作品の中で、伊沢が自身の仕事について「賤業中の賤業でなくて何物であろうか。ひと思いに兵隊にとられ、考える苦しさから救われるなら(後略)」と語る場面があります。そこから、伊沢は戦意高揚のための映画を作る仕事についていたから、徴兵されなかったのではないかと推察します。
実は、黒澤明(1910〜1998)監督も戦時中に招集されず、徴兵体験がなかったようです。東京で映画を作る仕事が、政策として必要だったから招集されなかったのでしょうが、そのことが招集されなかった人達も苦悩させたのでしょう。
伊沢は、「俺は女を殺しはしない」「戦争がたぶん女を殺すだろう」と思っています。空襲の際、周囲の家が燃える中、サヨと一緒にいるところを見られたくない伊沢は、近所の人が去るまで逃げずにいます。逃げる途中、サヨのことを「眠りこけた肉塊」「豚」と表現します。伊沢がサヨを、女性として「愛していた」とはあまり思えません。
でも伊沢は、サヨを置いていくことはしないし、捨てることもしないのです。あれこれ考えながら、なんだかんだ言いながら、でも最後までサヨの手を離さない。そこに、伊沢の優しさを感じます。
空襲の下、猛火から逃げながら、伊沢はサヨを胸に抱きしめて次のようにささやきます。
「死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ。怖れるな。そして、俺から離れるな。火も爆弾も忘れて、おい俺達二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ。この道をただまっすぐ見つめて、俺の肩にすがりついてくるがいい。分ったね」
坂口安吾『白痴』
この場面を読むと、私は、映画『タイタニック』で、まさに船が沈むというときに、レオナルド・ディカプリオが演じるジャックが、ケイト・ウィンスレット演じるローズに、 “Come on! I’ve got you!” “Don’t let go of my hand.” “We’re gonna make it, Rose. Trust me.” と言っていたシーンが浮かんできて、伊沢とジャックが、どうしてもオーバーラップしてしまいます。
サヨに対する伊沢の感情は、いわゆる恋愛感情とは少し違ったのものだったのかもしれません。でも、己の命が危うい状況で、自分の言葉や気持ちをどれだけ理解してくれているかも疑わしい女性に「死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ」「俺から離れるな」というその台詞に、伊沢の切迫した想いを感じて、何だか泣けてくるのです。
なんか、切ないね
うん。見返りを期待しない・できない関係性に、いわゆる恋愛ものとも違う、切実な愛を感じるんだよ。
坂口安吾(1906-1955)の『白痴』は、著作権保護期間が満了したパブリックドメインの作品です。青空文庫、アマゾンKindle、楽天ブックスから無料で読むことができます。