『斜陽』は、元華族の令嬢であったかず子と、母、弟の家族が没落していく様子を描いた、中編小説です。
没落貴族のお話だよね
そうだね。儚くて、美しい作品なんだけど、登場人物の生き方が、それぞれに哀しいんだよ
目次
主な登場人物
かず子
29歳。没落した元華族。一度結婚しているが、6年前に離婚、死産を経験している。実家に戻り、母と暮らしている。
母
弟の直次いわく「ほんものの貴族」。かず子も母のことを「ほんものの貴婦人の最後のひとり」と感じている。女中のいる東京の家で暮らしていたが、戦後没落し、東京の家を売って、伊豆の小さな家で暮らす。伊豆に引っ越してきてから体調を崩しがち。
直次(なおじ)
かず子の弟。召集されたまま行方不明になっていたが、戦地で麻薬中毒となっていた。かず子と母の暮らす伊豆の家で共に暮らすことになる。
上原
直次が憧れる小説家。妻子あり。酒に溺れた暮らしをしている。
あらすじ:ネタバレあり
元貴族のかず子と母は、生活が苦しくなり、それまで暮らしていた東京の家を売り、戦後は伊豆に引っ越しをする。伊豆では、母は体調を崩し、かず子は火の不始末からボヤ騒ぎを出すなど、順調とはいえない暮らしをしていた。そこに、戦地で行方不明になり麻薬中毒になっていた弟の直次が戻ってくる。
母、かず子、直次の3人で暮らしていたが、しばらくして母は結核で亡くなる。
ある日、直次が家に女の人を連れてきた。かず子は、恋慕っている上原に会いに、東京に行く。上原の家に行くと、そこには彼の妻と娘がおり、上原は留守だった。かず子は、飲み歩いている上原を見つけ、上原と結ばれ彼の子供を妊娠する。
家に帰ると、直次は自殺していた。
母も弟も死に、上原も離れていった。かず子は、生まれてくる子どもと生きていこうと思うのだった。
解説
文字数は、99,453文字。1分間に読む文字数を500文字と考えると、おおよその読了時間は、3時間程度となる分量です。
昭和初期に活躍した小説家。本名は津島修二(つしま しゅうじ)。『走れメロス』『人間失格』『桜桃』『お伽草子』など、多数の名作を残しています。その作風は、同時代に活躍した坂口安吾、織田作之助らと共に「無頼派、新戯作派」と呼ばれています。
太宰は『斜陽』を発表した翌年の1948(昭和23)年6月13日、38歳の時に玉川上水で入水自殺をしました。彼の遺体が見つかったのは6月19日で、太宰の誕生日でした。この日は太宰晩年の作品『桜桃(おうとう)』から、桜桃忌(おうとうき)といわれています。
『斜陽』は1947(昭和22)年に雑誌「新潮」に7月号から10月号まで4回にわたって連載されました。同年の12月には新潮社から刊行されています。新潮社が発行している「新潮」は、1904年に創刊され、現在まで続いている文芸誌です。
1946(昭和21)年 | 日本国憲法の公布 |
1947(昭和22)年 | 太宰治(37歳)『斜陽』発表、日本国憲法の施行 |
1948(昭和23)年 | 太宰、玉川上水にて入水自殺 |
1947(昭和22)年、法の下の平等を定めた日本国憲法の施行により、華族制度が廃止されました。
かず子と母が、逃去の家を処分し伊豆に引っ越してきたのは、昭和20年の12月初旬だという記述が本文中にあるので、華族制度の廃止の前に、かず子と母の東京での暮らしは立ち行かなくなっていたことになります。
かず子の父親は10年前に亡くなっています。そこからの母・かず子・直次の3人の生活の全ては、母の弟である「和田の叔父さま」に面倒をみてもらっています。その暮らし方では、戦後は、破綻以外の道筋はなかったのでしょう。
太宰治の生家は、青森県の大地主です。父は地元の名士で、津島家は裕福な暮らしをしていました。太宰の父が、太宰が生まれる2年前の1907年に建設した太宰の生家は「斜陽館」と呼ばれ、太宰治記念館となっています。
津島家は広大な田地を有し、多くの小作人がいたそうです。しかし、第2次世界対戦後の農地改革(小作地等を政府が買い上げ、実際に耕作をしていた小作人に売り渡した)により津島家は田地を失い、邸宅「斜陽館」も売却されることになりました。
『斜陽』は太宰の生家である、津島家をモデルに執筆されたといわれます。戦後、津島家の暮らしは「大地主の富豪」ではなくなっており、そこからの着想はあったでしょう。ですが戦後も、津島家では太宰の兄をはじめ複数の方が政治家となるなどの活躍をしており、『斜陽』の中で描かれる元華族の没落と、津島家の様子とは異なるようです。
『斜陽』の作中で、チェーホフの『桜の園』が登場します。『桜の園』はチェーホフの戯曲で、新しい価値観や時代の変化についていけなかった、没落していく田舎貴族が描かれています。太宰は『桜の園』に描かれる田舎貴族に、戦前から戦後の生家の変遷を重ね合わせ、『斜陽』の着想を得た様です。滅びの美学という点で、『桜の園』と『斜陽』は、共通した空気感が漂う作品です。
また、かず子は恋慕う上原に宛てた手紙の中で、上原のことを「M・C」と呼びかけます。そしてかず子は、M・Cを、マイ・チェホフ、マイ・チャイルド、マイ・コメディアンと呼び換えます。かず子が、M・Cに込めた、本当の思いは何だったのでしょう。
太宰の代表作とも言える『斜陽』ですが、これは当時の愛人であった太田静子さんの日記をベースに書かれたものでした。
太田静子さんは、太宰の勧めにより、1945(昭和20)年の春から12月までの日々を日記に綴り、その日記を1947(昭和22)年の2月に太宰に渡しています。『斜陽』の連載が始まったのが1974年の7月号からですから、太宰は、太田静子さんから日記を受け取った後、数ヶ月のごく短い期間で作品を仕上げたことになります。
太宰の『女生徒』は、有明淑さんの日記をベースに書かれたものでした。そして『斜陽』は、太田静子さんの日記がベースとなっています。太宰は、誰かの作品から着想を得て、それを小説にするのが、得意で上手だったのかもしれません。
そういう作品の制作方法もあると思いますし、戦前・戦後の感覚だと、共著として発表するという発想そのものがなかったのかもしれません。ですが、太宰治の名声や文豪としての評価を考えると、有明淑さんや太田静子さんが、もっと評価されてもいいのではと思ってしまいます。
この太宰治の『斜陽』から、第2次世界大戦後に世の中の急激な変化によって没落した上流階級の人々を指す「斜陽族」という用語が生まれました。太宰治の作品が、世の中に与えた影響の大きさが窺い知れます。
感想
伊豆で、かず子が火の不始末からボヤ騒ぎを出した後、近所に住む西山さんという女性から、かず子と母の暮らしについて、「ままごと遊びみたいな暮らし方」「気をつけてくれ」と注意を受けます。
西山さんのいう通り、かず子と母、そしてそこに加わる直次の暮らしには、生活感が無いのです。かず子と母はおそらく働いたことはないでしょう。弟の直次も、学生の途中で召集され、戦争から帰ってきた後も、働いている様子がありません。母と娘、息子の3人で、かつての資産を食い潰しながら生きています。
その、食い潰す資産でさえ、母の弟である「和田の叔父さま」が、東京の家の処分や、引越し先の伊豆の家の手配など、全てやってくれたから手に入っただけで、母もかず子も、東京の家を失うことを嘆くばかりです。直次も自身のことを「生活力が弱い」と表現しています。
かず子、母、直次の暮らしには「大人」が一人もいないのです。「そりゃ、破綻するよね」と思います。私の、かず子に対する視線は、西山さんのそれに近いと感じます。
直次は、その遺書の中で「いままで、生きて来たのも、これでも、精一ぱいだったのです。」と、姉のかず子に告げています。生きていくこと自体がしんどくて、母や姉の着物を換金しては酒を煽り、麻薬中毒になる以外に、直次には生きる方法がなかったのでしょう。
なぜ、生きていかなければならないのか、生きる理由がわからないのに、上手に生きることを期待され、しかもそれを、暗に強いられる。直次には、それが、たまらなく辛かったのでしょう。
この直次のしんどさは、現在を生きる私たちにも通じるしんどさで、だからなのか、私は『斜陽』の中では、直次の心情に一番の共感を覚えます。
かず子は、不思議な女性だと感じます。とらえ所がないように感じて、うまく理解できないのです。生活力のなさ、母に対する強い敬愛や距離の近さ。妻子がいる男性の愛人になりたいという手紙を書き、自分から上原に対して迫る奔放さ。一人で子供を産み育てたいという無鉄砲さ。
その一つ一つはわかるけれども、これらが、ないまぜになっている、かず子という女性が、よく分からないのです。このよく分からなさが、かず子という女性の個性なのか、それとも、華族のお嬢様の考えや行動だから理解が難しいのか。
いわゆる文学作品の中には、「高校生の頃はよく分からなかったけど、大人になって読み返してみて理解できた」というものも多いのですが、かず子に関しては、大人になっても、いまだによく分かりません。
物語の最後で、かず子は、上原に、「生まれてくる子を、直次の子だと言って、あなたの妻に抱かせたい」と手紙を書きます。直次のために、そうさせて欲しいと。
直次の遺書の中で語られる、直次が好きだった女性というのは上原の妻のようですから、「直次のために、そうさせて欲しい」という言葉をそのまま受け取れば、「直次の好きだった女性に、直次の子を抱いてもらいたい」ということになるのでしょう。
ですが、そうなのでしょうか?子どもは、直次の子ではなく、かず子と上原の子どもなのです。その子を上原の妻に抱かせたら、直次は喜ぶのでしょうか?なぜそれが、直次のためと、かず子は思うのでしょうか?
ラストは、私にとっては、よく分からないままでの終わり方です。母も、弟の直次も亡くなりました。上原も離れていきました。そしてこの先も、陽はまだ斜いていくんじゃないか、そんな風に感じてしまいます。
かず子さん、シングルマザーになるって、大変だよね。
うん。どうするんだろうね。かず子さんと、その子どもは、どうやって生きていったんだろうって、すごく気になるよね。
太宰治(1909-1948)の『斜陽』は、著作権保護期間が満了した日本国内ではパブリックドメインの作品です。青空文庫、アマゾンkindle、楽天ブックスから無料で読むことができます。
アイキャッチ画像 mohamed HassanによるPixabayからの画像