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太宰治『女生徒』あらすじと感想

はな
はな

『女生徒』って、聞いたことないよ。そんなお話も書いてたの?

ほら
ほら

うん。太宰は有名な『人間失格』『走れメロス』以外にも、たくさんの作品を残しているよ

主な登場人物

『女生徒』では、ある女生徒の5月1日の出来事が、彼女自身の視点から語られています。主な登場人物は「私」ひとりとも言えます。


14歳の少女。父を亡くし、母と二人で暮らしている。


「私」と二人で暮らしている。誰かのためにいつも忙しく動いている。


嫁いで、家を出ている。「私」の回想で姉の存在が語られるだけで、登場はしない。


亡くなっている。「私」の回想で語られるだけで、登場はしない。「私」は父のことを懐かしく、恋しく思い出している。

あらすじ:ネタバレあり

朝、目を覚ます。”朝は、意地悪”。犬と遊んで、部屋の掃除をする。朝食を食べて、登校する。電車に乗って、学校にいく、電車の中で、いろいろ考え事をする。

学校で授業に出る、学校帰りに友達と美容院に行く。バスに乗って家に帰る。いっそこのまま、少女のまま死にたくなる。

家に帰るとお客さんがいた。お客さんに料理を作って出す。食後に片付けをする。母はお客さんと出かけた。

お風呂を沸かして、宿題をすませる。帰宅した母と二人で過ごす。12時近くになって、洗濯を始める。寝る。

“私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびお目にかかりません”

はな
はな

これだけ?

ほらこ
ほらこ

まあ、そうだね。ストーリーが面白いというより、「私」の語り自体に魅力と味わいがある作品なんだよ

解説

文字数と読了時間のめやす

文字数は、33,515文字。1分間に読む文字数を500文字と考えると、1時間程度で読める分量です。

著者紹介

昭和初期に活躍した小説家。本名は津島修二(つしま しゅうじ)。『走れメロス』『人間失格』『斜陽』『お伽草子』など、多数の名作を残しています。その作風は、同時代に活躍した坂口安吾、織田作之助らと共に「無頼派、新戯作派」と呼ばれています。

太宰は、1948(昭和23)年6月13日、38歳の時に玉川上水で入水自殺をしました。彼の遺体が見つかったのは6月19日で、太宰の誕生日でした。この日は太宰晩年の作品『桜桃(おうとう)』から、桜桃忌(おうとうき)といわれています。

発表年 1939(昭和14)年頃のできごと

『女生徒』は1939(昭和14)年に、「文学界」で発表されました。

1938(昭和13)年国家総動員法が公布・施行
1939(昭和14)年太宰治(30)『女生徒』発表、第2次世界大戦勃発
1940(昭和15年)日・独・伊三国同盟締結

何資宜氏の論文には、有明淑さんが電車内で読んでいる雑誌は、婦人公論の昭和13年5月号であることを宮内淳子氏が明らかにしていることが記載されています。そうであれば『女生徒』が作中で過ごした1日は、おそらくは1938(昭和13)年の5月1日であろうと推察できます。

1938(昭和13)年は、国家総動員法が公布・施行された年であり、1939(昭和14)年には、第二次世界大戦が勃発しています。世の中が戦争へと向かっていく中で描かれる「少女の主観の世界」は、時代背景を考えると、いっそうの儚さや危うさを感じます。

有明淑さんという女性の日記

実は、この「女生徒」という作品は、有明淑さんという女性の日記をもとになっています。

太宰治の作品の読者だった有明淑さんが太宰に送付した日記をもとに、太宰が『女生徒』という小説を書きました。有明淑さんの日記は、青森近代文学館より資料集として発行されています(2021年2月現在)。

感想

日記文学のような味わい

『女生徒』は、話に特段の起承転結はなく、とりとめもない一人語りに終始します。しかし、主人公である女生徒の感性や言葉選びが秀逸で、1頁1頁の情報量が多く濃密で、そこに圧倒され、魅了されます。小説の形式をとっていますが、元は有明淑さんの日記ということもあり、日記文学に近い印象を受けます。

前述したとおり、『女生徒』は、昭和初期のある年のある1日を描いています。有明淑さんの日記は、もともとは1日の出来事を記したものではありません。それが、太宰の手によってエッセンスが凝縮され、1日の語りという形に仕上げられたことで、一人の少女の日記から、発表から70年後も読み継がれる作品に昇華したように感じます。

高校生の時は「この女生徒は、まるで私のようだ」「成人男性であるはずの太宰が、女生徒の気持ちを、なぜこんなにも明確かつ繊細に表現できるのだろうか」と非常に不思議に思いながら『女生徒』を読んだのですが、私が共感していたのは、太宰の感性ではなく、太宰のフィルターを通した有明淑さんという1919年生まれの女性の感性だったのかもしれません。

ちょっと脱線:ある1日を描くという手法

「ある1日を描いた作品」として、私が真っ先に思い浮かぶのは、庄司薫氏の『赤頭巾ちゃん気をつけて』です。こちらは、1969(昭和44)年2月9日(日)のことが、高校3年生である主人公の薫くんの視点で語られています。両作は、学生の自分語りという手法を用いた作品で、10代の不安定さと感性の瑞々しさを描きだしていて、どちらも学生時代の私の愛読書でした。もし気になったら、ぜひ庄司薫氏の薫くんシリーズも読んでみて欲しい作品です。

共感ポイント①アンビバレントな感情と不安定さ

ある対象に対して、相反する感情を持ったり(好きと嫌い、尊敬と軽蔑)、相反する態度をとる(親切と意地悪)ことを、アンビバレンス(両価性)といいます。そして、『女生徒』は、アンビバレンスのオンパレードだと感じます。

“私”は、飼い犬に対して、母親に対して、学校の先生や友人に対して、身の回りの全てに対して、両価的な感情を抱き、それがくるくると入れ替わります。時折、少し前に亡くした父親を想い、嫁いだ姉を想います。結婚のことを空想します。これらを1日中繰り返します。とにかく、頭の中が始終、忙しいのです。

“私”が、アンビバレントな感情を処理しきれずに右往左往し、不安定で頭でっかちに見えるさまを、太宰は丁寧に、そして見事に描き出しています。誰もが抱きがちな、でも上手に表現出来ない、”私”が抱えるモヤモヤした少し嫌な感じが、共感ポイントの1つです。

共感ポイント②自己嫌悪と自己否定

『女生徒』の中では、自己嫌悪と自己否定の表現も多くみられます。特に自分が女であることへの嫌悪感が強く表現されています。同時に、それは周囲の他人にも向けられ、電車で隣り合わせた人にまで及びます。そのマイナスの感情は、理不尽にも思えるのですが、『女生徒』の中で表現される自己嫌悪と自己否定に、理屈ではなく、私は強く共感します。

大人になって読み返してみると、「なんであんなに、自分のこと嫌いだったかな。そんなに否定しなくてもいいのにな。」とも思うのですが、若い時は、そんな風に冷めた目で自分を見る余裕もなかったのです。青年期の自己嫌悪感というのは、永遠のテーマなのかもしれません。

共感ポイント③本との関係

私が『女生徒』の中で、特に共感したのは、”私”と本との関係です。

自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験のない私は、泣きべそをかくことだろう。それほど私は、本に書かれていることに頼っている。

太宰治「女生徒」

読む本がなくなって、真似するお手本がなんにも見つからなくなった時には、私はいったいどうするだろう。

太宰治「女生徒」

菅原孝標女の更科日記にある「后の位も何にかはせん(后になるより、本を読む方が大事)」という一文を読んだ時も、「私の気持ちと同じだ」と思いましたが、「女生徒」の方が、さらに強く思いました。そして本への依存は『女生徒』の”私”の方が、菅原孝標女よりも切実です。好きとか大事とか、そういったレベルではなく、本を取り上げられたら、お手本がなくなったら、泣きべそをかくしかないのです。

これも、大人になって読み返すと「まあ、でも、本がなくても、何とかなるよ」と思えるのですが、人生経験が少なく、本が友であり、お手本であり、現実逃避の手段でもあった頃には、本のない生活は考えらず、「女生徒」の心配ごとは、そのまま私の心配ごとでした。

 「女学生」は、アンビバレントな感情や自己嫌悪、自己否定を多くの場面で描きながら、決して暗い印象を与えるものではなく、作品自体は明るくポップです。太宰の作品の中でも、明るく楽しい気持ちにさせる部類に入ります。太宰の、こういった明るい作品を、もう少し読みたかったなぁと思います。

はな
はな

太宰の小説って、作品によって雰囲気が全然違うね

ほら
ほら

うん。それも太宰の魅力の一つだよね。

太宰治(1909~1948)『女生徒』は、著作権保護期間が満了した日本国内ではパブリックドメインの作品です。青空文庫アマゾンKindle楽天ブックスから無料で読むことができます。

アイキャッチ画像 Photo by Siora Photography on Unsplash