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太宰治『桜桃』あらすじ・解説・感想

『桜桃』は太宰治の晩年に書かれた短編小説です。太宰を偲ぶ「桜桃忌(おうとうき)」は、太宰晩年の本作にちなんで命名されました。

はな
はな

「黄桃」って、桃のことだよね?

ほらこ
ほらこ

「黄桃」じゃなくて「桜桃」ね。さくらんぼのことだよ。

主な登場人物

私(≒太宰)
 作家。酒を飲みすぎる。あちこちに、若い女の友達がいるらしい。家事は全く出来ない。しばしば、障害のある長男を抱いて川に飛び込んで死んでしまいたくなる。


 子ども達の面倒を見ている。無口。

子どもたち
 7歳の長女、4歳の長男、1歳の次女。長男は4歳になっても、歩くことも話すこともできない。私は、白痴か啞かと疑っている。

あらすじ:ネタバレあり

夏のある日の夕食どき。私は大汗をかきながら食事をする。妻は、長女、長男、次女の面倒を見ている。「お父さんは、お鼻に一ばん汗をおかきになるようね。」という妻の言葉に対して、「お前はどこだ」と問うと、妻は「お乳とお乳のあいだに、涙の谷」と答える

「涙の谷」と言われて、私はひがんだ。私も妻に負けず、子どものことを考えている。私なりに精いっぱいやっている。しかし、妻と言い争いはしたくない。

私はふらりと外に出る。酒を飲む場所にまっすぐに行く。桜桃が出た。子ども達は、桜桃のような贅沢なものは見たことも無いかもしれない。持って帰ったら、喜ぶだろう。

そう思いながら、私は、大皿に盛られた桜桃を、不味そうに食べては種を吐いた。

解説

文字数と読了時間のめやす

文字数は、5,390文字。1分間に読む文字数を500文字と考えると、10分程度で読める分量です。

著者紹介

昭和初期に活躍した小説家。本名は津島修二(つしま しゅうじ)。『走れメロス』『人間失格』『斜陽』『お伽草子』など、多数の名作を残しています。その作風は、同時代に活躍した坂口安吾、織田作之助らと共に「無頼派、新戯作派」と呼ばれています。

太宰は、1948(昭和23)年6月13日、38歳の時に玉川上水で入水自殺をしました。彼の遺体が見つかったのは6月19日で、太宰の誕生日でした。この日は太宰の没年に発表された、本作『桜桃(おうとう)』から、桜桃忌(おうとうき)といわれています。

発表年 1948(昭和22年)頃のできごと

『桜桃』は、1948(昭和23)年に雑誌「世界」で発表されました。

1947(昭和22)年太宰治(37歳)『斜陽』発表、「斜陽族」が流行
1948(昭和23)年太宰治(38歳)『桜桃』発表、太宰入水自殺1
1949(昭和24)年北大西洋条約機構(NATO)設立、湯川秀樹が日本人初のノーベル賞受賞

 太宰は、1947(昭和22)年に『斜陽』を発表し、その作品にちなんで、没落し落ちぶれていく上流階級の人々を表す「斜陽族」という言葉が流行しました。

詩篇について

『桜桃』は、「われ、山にむかいて、目を挙ぐ」という、詩篇 第百二十一の言葉から始まります。山に向かって、目を挙げた後、どうなるのか。詩篇 第百二十一は、「私の助けは、どこからくるのだろうか」と続きます。

「われ、山にむかいて、目を挙ぐ」の一行は、さらっと読み飛ばしてしまいそうになりますが、その続きを知ると、「子供より親が大事、と思いたい」以降の文章は、「私の助けは、どこからくるのか」という問いかけを、太宰自身の言葉で置き換えて表現したものだったのかもしれないと感じます。

子どもの障害

 太宰の息子は、ダウン症であったと言われています。ダウン症が染色体異常によることが発見されたのは1959年、桜桃が発表された(=太宰が自死した)1948年の11年後ですから、太宰は、自分の長男がなぜ歩くことも話すこともしないのか、原因も対処法も分からなかったのだろうと思います。

『桜桃』の名文

『桜桃』の名文は、まず、その書き出しでしょう。そして『桜桃』は作品の最後も、「子供より親が大事」というフレーズで締められています。

子供より親が大事、と思いたい。

太宰治『桜桃』

心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。

太宰治『桜桃』

感想

自分のことで精一杯

 『桜桃』の中のとても印象的なフレーズ「子供より親が大事」ですが、その言葉を太宰は「虚勢みたいに呟く」のだと、作品の最後で明かされます。

 自分が子供の立場であった若い時は『桜桃』を読んで「妻子に貧しい生活を強いておきながら、自分だけ贅沢をして、何てひどい父親だ」と思っていました。今でもその思いはありますが、太宰の年齢を超えた今になると、虚勢を張らないと「他人より自分が大事だと、思いたい」と呟くこともできない、そんな太宰は、とてもしんどかっただろうなと思います。

 作品中で「おれだって(中略)子供の事は考えている」「しかし、おれには(中略)これでもう、精一ぱいなのだ」と太宰の心情が吐露されます。これは言い訳でも何でもなくて、太宰は本当に精一杯だったのでしょう。そして、精一杯の自分を「これでよし」「仕方なし」と肯定できれば、まだ少しは生きやすかったのかもしれませんが、そこまで図々しくなることもできず、自分を責め、自分を否定し、太宰は負のループにはまっていったのだろうなと想像します。

障害を持つ子の親としての苦悩

 子どもの障害受容は、親にとっては大きなテーマです。医療も診断も障害児の親の支援も、不十分であった1948年当時、太宰が子どものことで悩み苦しんだであろうことは容易に想像できます。

 太宰といえば、薬物中毒、奔放な女性関係、繰り返される自殺未遂、入水自殺による最期などに注目が集まりますが、彼の苦悩の中には、障害を持つ子の親としての悩みもまた、含まれていたのではないかと思います。

どうして、生きていかなきゃいけないのか?

 「なぜ、何のために、生きるのか」「どうして、生きていかなきゃいけないのか」というテーマは、『斜陽』や『人間失格』でも見られます。これが、太宰自身のテーマだったからでしょう。

 『桜桃』の中でも「生きるという事は、たいへんな事だ。」「自殺の事ばかり考えている。」という表現が出てきます。太宰晩年の作品『桜桃』の中で表れているとおり、太宰は生きることに疲れていたのでしょうか。

 「なぜ、何のために、生きるのか」「どうして、生きていかなきゃいけないのか」は、私も子どもの頃から疑問に思い、考え続けていました。「なぜ、生きるのか」をテーマにした本も読みますが、そこで答えを見つけることは未だ出来ていません。

 太宰の作品に、どうしようもなく共感してしまうのは、「なぜ、何のために、生きるのか、分からない」「どうして、生きていかなきゃいけないのか、模索しているのに未だに答えが見つからない」という、ただ、そのままの漠然とした不安や、ぼんやりとした苦悩が、自分のそれと符合するからのように思います。

私生活を作品として発表される家族の気持ち

私は、太宰の作品が大好きです。理屈ではなく、彼の作品に、どうしようもなく惹かれます。ただ、太宰の作品に登場するモデルとなったご家族は、どうなんだろうなと、思うこともあります。太宰が偉大な作家であったばかりに、家庭内の小さなエピソードであったはずの出来事が、いつまでも読み継がれてしまう。

よそ様の家庭の様子をモデルにした作品を読むことに、わずかばかりの申し訳なさも感じながら、それでも、太宰が『桜桃』という作品を残してくれたことを、とても有難いと感じています。

はな
はな

短いけど、なんか、色々考えちゃう作品だね

ほらこ
ほらこ

そうなの。あらすじ的には、家族の日常と夫婦の諍いを書いているだけ、なんだけどね。でも、言葉の全てが、太宰が必死にだしているSOSみたいで、読んでて切なくなるの。

太宰治(1909-1948)の『桜桃』は、著作権保護期間が満了した日本国内ではパブリックドメインの作品です。青空文庫アマゾンKindle楽天ブックスから無料で読むことができます。

アイキャッチ画像 Ylanite KoppensによるPixabayからの画像